最近はテレビをつけると、名ばかり管理職関連のニュースが度々目に入る。名ばかり管理職を盛んでいる主な原因は、企業が人件費を抑制し、利益を上げようとしているからだ。所で、この様なやり方は、第二次世界大戦中、旧日本軍が、間違っていった歩みをもう一度歩き始めたと思われている。
第二次世界大戦中、旧日本軍は人間の努力は無限な可能性があると信じていった。その故、訓練や、パイロート個人の努力によって、零式戦闘機の防弾不足の欠陥を完全にカーバーできると断言し、防弾機能に付いた戦闘機の開発を後回しにした。一方、アメリカ製の戦闘機は最初から防弾機能を重視し、最初、飛行機は日本軍の零式に撃落されても、パイロートは生き残れる仕組みで作られている。後ほど、アメリカは効率の優れたエンジンを開発し、操縦性を零式よりも優れたと共に、防弾機能を重視した飛行機を作り、その飛行機で、経験豊かなパイロートを乗せ、空のコントロールを取り戻した。その時の日本は、経験のあるパイロートは殆ど残しておらず、新しく募集されたパイロートは「同期の桜」の様に散るしかない。対二次世界大戦の失敗は旧日本軍は重視すべき人の命を重視しなかった結果とも言えるだろう。
残念ながら、近年、戦後の日本はその歴史を忘れたと伴に、この教訓も忘れた。ワーキングポーア、低賃金労働者、過労死、高い自殺率、名ばかり管理職、臨時雇用などなどの名称は単なる言葉の名詞ではなく、この社会からの悲鳴でもある。このまま続けば、今まで構築した経済大国日本は潰れる他は無い。日本は軍事の戦場で一回犯した過ちを、もう一度経済の戦場で犯さないでほしい。
